
この共同体のメンバーは、土曜日を礼拝日として守っていました。また独身のままで主に献身することが奨励されました。1700年代の半ばまでには、エフラタ・コミュニティーは約80人の独身の兄弟や姉妹で構成される共同体となっていました。しかし同時に、このコミュニティーにつながる200余りの既婚カップルや家族もいて、彼らは近郊の農場に居を構えていました。
エフラタ・コミュニティーのメンバーは、音楽やカリグラフィー、印刷物等で有名でした。コンラード・ベイセルは、ハーモニーをかもし出すべく、「主の旋律(master notes)」「しもべの旋律(servant notes)」を用いながら、彼独自のスタイルで作詞をしました。
1813年に最後の独身メンバーが召されると、エフラタ・コミュニティーの既婚者メンバーは、ドイツ系・セブンスデー・バプテスト教会を形成しました。メンバーは1934年に至るまで、このコミュニティーの中に住み、礼拝を続けました。1941年、ペンシルベニア州はこの史跡を入手し、復旧プログラムをスタートさせました。エフラタ・コミュニティーは現在、公的な史跡地となっています。