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Japanese - Nestorians

ネストリウス派


紀元1世紀に、弟子タダイは、キリスト教をペルシア帝国にもたらし、後にアッシリア東方教会(the Church of the East)として知られるようになる教会を建て上げました。この、御国に熱心な教会は、キリスト教を中国、インド、東南アジア、モンゴル、果てはシベリアにまで伝えました。ある時には、彼らの網羅していた地理的範囲は、その大きさにおいて、ローマ・カトリック教会のそれをも凌いでいました。しかし、これらの信者が、マリアに対し『神の母』という称号を与えることを拒否すると、カトリック教会は彼らに異端の烙印を押し、ネストリウス派というレッテルを貼るようになりました。

しかし実際には、コンスタンティノープルの司教であったネストリウスは、ただの一度もこの教会のメンバーであったことはありませんでした。しかし、アッシリア東方教会と同様、彼もマリアに『神の母』もしくはテオトコス (θεοτόκος)という称号を与えることで、彼女が今後崇拝の対象になってしまうだろうと危惧していました。――そして実際、その危惧は現実のものとなったのです。