Banner-06-June.jpg

Japanese - Justin Martyr

殉教者ユスティノス


ユスティノス(紀元100‐165年)――哲学者より伝道者へ

使徒ヨハネの死後数十年経った頃でしたが、ユスティノスという若い哲学者が真理探究への旅に乗り出していました。ある日、ユスティノスはいつものように思索にふけるべく、地中海を見渡す人里離れた野をめざして歩いていました。ふと気付くと、後ろの方に一人の老人が、少し離れて歩いていました。煩わされたくなかった彼は、後ろを振り向き、イライラと老人を見やりました。しかし、その老人――キリスト教徒であった――は、彼に話しかけ始めます。ユスティノスが哲学者だと知ると、今度は魂を探るような質問をはじめました。老人の問いは、ユスティノスをして、人間の作った哲学の不完全性に目を開かしめました。

後にユスティノスは回想してこう語っています。「老人はその他にもさまざまなことを語った。そして別れ際、私に自分の語ったことをよく吟味するよう激励して、去っていった。それ以来、その老人に会っていないが、たちまちにして魂の内に炎が燃え上がった。私は預言者達、そしてキリストの友への愛に圧倒された。老人の言ったことをもう一度熟考してみた。そして悟ったのだ。キリスト教こそが唯一まことの、真に価値ある哲学であることを 。」

キリスト信者になった後も、ユスティノスは「唯一真実なる哲学」を見出したことを象徴すべく、哲学者の外衣をまとい続けました。事実、彼は異教の哲学者たちへの伝道者となり、知識階級のローマ人がキリスト教の意味を理解することができるよう尽力し、生涯をその道に捧げました。ユスティノスの書いたローマ人への弁明は、未だ、現存する最古にして、完全な形で残るキリスト教護教の著述です。ユスティノスはすぐれた伝道者となり、教養ある無しにかかわらず、多くのローマ人をキリストに導きました。

ユスティノスの在世中、キリスト教は非合法の宗教でした。しかし、「迫害の多くは、クリスチャンに関する、根も葉もないうわさに端を発している」ということにユスティノスは気付きました。そして、「もしローマ政府がクリスチャンについての真実を知ったなら、このような残虐な迫害は止むのではないだろうか」と思いました。そこで、ユスティノスは、みずからの命の危険を冒し、アントニヌス・ピウス皇帝に宛てて、護教論をしたためました。

しかし最終的に、キリストに対する証しゆえに、ユスティノスは命を落とすことになります。哲学者たちの一団が彼に対して陰謀をくわだて、それにより、彼は逮捕され、そして死刑判決を受けます。キリストを否むよりは死ぬことを選んだユスティノスは、紀元165年に処刑されました。死後、彼は《殉教者ユスティノス》として知られるようになりました。

神の霊感を受けて書かれた新約聖書をのぞいて、ユスティノスの『第一護教論』はおそらく、初代キリスト教随一の重要作品といえましょう。この本の中では、教会での礼拝のこと、バプテスマのこと、主の晩餐のことなどが詳しく述べられています。これらの説明は、現存する資料の中では最古のものです。

また、この護教論は、《教父たち》によって書かれたものではありません。つまり、教会に宛てて、「何を教えるべきで、礼拝はかくかくあるべき」といったような教訓風の書物ではないということです。そうではなく、この本はあくまで一介の伝道者によって執筆されたものであり、「クリスチャンは何を信じていて、どんな風に集会を行っているのか」について彼は、ローマ人に説明をしているのです。

彼の作品のいたるところに、「私たちが学んだところによれば、、、」という表現がみられます。ユスティノスは教師ではなく、あくまで、自分や他のクリスチャンが学んできたことをそのまま言及しているのです。

ユスティノスの聖書知識

ユスティノスの徹底した聖書知識には、誰もが感銘を受けることでしょう。『第一護教論』の中だけでも、実に、155カ所の聖書引用箇所があるのです。それも、全てを、何も見ずにそらで引用しているのですから、ほんとうに驚愕させられます。ユスティノスの聖書理解には、実におどろくべきものがあります。『護教論』の中で、彼は旧約の預言という預言を、縦横無尽に引用しています。

引用は彼の記憶によるものであるにもかかわらず、彼はそういった預言の箇所がどの書にかかれているのか、ほとんど間違えずに正しく言及しています。彼の引用箇所の多くは、ほとんど逐語的にといっていいほど、ギリシア語七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)に依っています。このセプトゥアギンタは、初代クリスチャンの使用していた標準的な(旧約聖書の)翻訳でした。

もちろん、完全に記憶にたよって聖書を引用しているので、ユスティノスの著述には時として、聖句を書いた預言者の名や、史実に関する小さな間違いがみうけられます。例えば、イテロのことを、モーセの義父ではなく、伯父だと間違って言及しています。しかし、そういったミスは、かなり稀だといってさしつかえありません。

哲学とロゴス

ユスティノスの作品を存分に味わうために、読者は、彼が作品中くりかえし使用しているギリシア語二つ――フィロソフィアとロゴス――の重要性を理解する必要があるでしょう。フィロソフィア(Philosophia )とは《知恵への愛》を意味しています。ですから、ユスティノスが支配者たちに対し、「あなたがたはフィロソフィアに基づいて決定を下さなければならない」といっているこのフィロソフィアとは、何か哲学的な学派のことを言及しているのではないのです。そうではなく、クリスチャンに関する支配者たちの決定は、うわさや群衆への恐れではなく、あくまで知恵に対する愛に基づいてなされるべきだといっているのです。

またユスティノスはしょっちゅう、ロゴス(Logos)という言葉を使っています。新約の記者たちも、この語を何度も使っています。例えば、使徒ヨハネは、福音書を例の有名な言葉で始めています。「初めに、ことば〔Logos〕があった。ことば〔Logos〕は神とともにあった。ことば〔Logos〕は神であった。」(ヨハネ1:1)

英語の聖書では一般に、このロゴスを「word(ことば)」と訳していますが、ロゴスにはまた「reason(理性)」という意味もあります。「イエスは神のロゴスだ」というヨハネの言葉を読み、彼の読者の大半はおそらく、「イエスは神の理性だ」と理解していたのかもしれません。換言すれば、イエスは、――完全に浸透した、神の理性的力の体現化――であるということです。

神は、すべての理性そして知識の源であると、初代クリスチャンは認識していました。ですから、理性的な人であればだれでも、神の理性(ロゴス)に仕えたいという願いがあるだろうと彼らは信じていたのです。ユスティノスは、第一護教論のいたる所で、このことを強調しています。他の多くの初代クリスチャンと同様、ユスティノスも、《理性》と自分の《宗教》との間になんら矛盾を見い出していなかったのです。彼にとって、両者は切っても切れない関係にあったのです。

ユスティノスの本を実際に読んでみよう!

ユスティノスの作品に親しみたいと思っていらっしゃる方に、まず『第一護教論』を読むことをおすすめします。私たちの出版社では、この作品を非常に分かりやすい現代英語に訳した上で、『大きな事を語るのではない――我々はそれを実際に生きるのだ(原題We Don't Speak Great Things--We Live Them)』というタイトルで出版しています。ちなみにこの英語版では読みやすさを考慮した上で、段落を少々アレンジし直しています。(当時の大半の[ギリシア語世界の]著述家と同様、ユスティノスの文章の中にも、ところどころ任意の省略があり、現代の読者はとまどいを覚えてしまいがちです。段落の再調整は、それを解決するために行ないました。)© Scroll Publishing Co.