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Japanese - John Wesley

ジョン・ウェスレ―


英国における宗教改革は、ドイツのそれとは幾分異なる展開をみせていました。英国の改革者たちのほとんども、ルターと同様、既成の宗教国家体制を改革しようと努めていました。しかし、ルターがアウグスティヌスの見方で聖書を読んだのに対し、英国改革者の多くは、聖書を解釈するにあたって、二ケア公会議以前の初代教会の著作類をかなり参考にしていたのである。その中の一人は次のように書いています。

聖書は、――じゅうぶんかつ豊かに、純粋ないのちの水をたたえた――源であり、いのち溢れる泉である。そして、この書には、神の民に思慮を与え、救いに至らしめるのに必要なすべてが含まれている…原始教会の声と証は、補佐的で、扶助的な役割をはたしており、我々の手引きでもある。そして、それらは我々が正しく御言葉を理解することができるよう、我々を守り、導いてくれるのである。

不幸なことに、英国の改革者は、こういった聖書解釈の原則にいつも従っていたわけではありませんでした。もし、彼らが従っていたとしたら、国家制度の牢獄の中に、キリスト教をぎゅうぎゅう押し込めるようなことは、決してしなかったでしょう。初代キリスト教徒がはっきり理解していたように、キリストの御国はこの世のものではなかったのです。そう、キリストの御国は、この世の国家とは決してうまくかみ合えないのです。

しかし、そういう欠陥があったにもかかわらず、英国の宗教改革は、――18世紀の英国をひっくり返した――ある聖職者のための土壌を備えました。その聖職者とは、他ならぬジョン・ウェスレーです。1700年代にはすでに、英国教会は大部分、――インテリや文化人、資産家といった人々の集う――、けだるく無気力な教会へと退行してしまっていました。こういった現状に満足を覚えることのできなかったウェスレ―は、一般民衆に福音のメッセージを届けようと、救貧院や村の通り、そして野外におもむき、福音を伝え始めました。初代キリスト教徒の説教がそうであったように、ウェスレ―の説教も、何千という人々の生活を根本から変えました。徹底的な救いの恵みを説く彼の福音は、英国をもアメリカをもひっくり返したのです。

彼以前にいた霊的改革者の多くとは違い、ウェスレ―は、「霊的革命は、人の内側からはじめられなければならない」ことに気付いたのです。つまり、聖霊は人を内側から外へと抜本的に変えなければならない。そして聖霊の力添えなしに、原始キリスト教への回帰はありえないのだ、と。ウェスレ―はまた、「聖霊が人を満たす時、必ず、その人の生き方には外的な変化があらわれる」ことも理解したのです。御霊のうちに生きながら、この世的な歩みをする人は誰もいないのです。

ウェスレ―は、初代キリスト教徒の著述に深い造詣をもっていました。彼はこう書いています。

「何年も学びの場に身を置きながら、依然として、教父の著述に学ぼうとしない者に何か弁解の余地はあるだろうか。教父たちは、最も信頼のおける聖書注解者である。というのも、彼らは、源にもっとも近いところにいる人々であるのだ。また、全ての御言葉は御霊によって与えられたのであるが、彼らは際立って、その御霊に満たされていたのである。――私は、ここで主に、二ケア公会議以前に著述した人達のことを言っているのであるが――、こういう人々にあって、以上述べてきたことは顕著なのである。」

ウェスレ―の働きは、やがてメソジスト教会を生み出すことになりました。しかし、それだけにとどまらず、多くのホ―リネス教会、ペンテコステ教会をも生み出したのです。そして、こういった教会の多くは、使徒時代のキリスト教を回復することに精力を注いできました。さらに、このウェスレ―運動――イエス・キリストとの個人的な関係および、聖霊によって強められることにかなりの重点をおいた運動――は、ウェスレ―系の教会の枠外にある何百という教会にも影響を及ぼしてきたのです。