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Japanese - Catacombs

正確には、カタコンベとは何だったのでしょう

カタコンベとは、初代クリスチャンによってつくられた、死者埋葬のための地下墓所のことをいいます。これらカタコンベは主に、古代ローマの市壁の外にありました。

そしてそれは、凝灰岩といわれる、非常にやわらかい多孔質の堆積岩を掘ることによってつくられました。空気にさらされる前の凝灰岩は非常にやわらかく、そのため、手工具を使ってそれを掘り起こす作業は、比較的容易です。しかし、空気にさらされると、それは次第に固くなっていきます。そのため、掘って作られた地下廊は、崩れ落ちることなく、頑丈なものとなったのです。

「カタコンベ」という言葉について

驚かれるかもしれませんが、初代クリスチャンの書物には、カタコンベについての言及はないのです。どうしてかといいますと、初代クリスチャンは、それらの埋葬地のことを、「カタコンベ」とは言わず、ただ単に「墓地」と呼んでいたからなのです。

「それなら、『カタコンベ』という言葉はどこから来たの?」と思われるかもしれません。そうなのです。実は、この言葉は元々、地理上の用語にすぎず、――初代クリスチャンの墓所とは何の関係もなかったのです。

古代の地図では、アッピア街道周辺の地域で、地が落ちこんでいるところ――つまり窪地のあるところ――を指して、「ad catacumbas」と表記しています。Ad catacumbasとは、ラテン語で、「窪地の近く」を意味します。つまり、初代クリスチャンが自分たちの地下埋葬所をつくる以前に、それがその地域の名前となっていたのです。

さて、聖カリストゥスのカタコンベからさほど遠くない所に、もう一つ別の地下墓所――セバスチャンという敬虔なクリスチャンの名前に因んでセバスチャン・カタコンベといわれています――があります。四世紀後半そして五世紀、多くの巡礼者たちが、それらの地下埋葬所を見に、ローマにやって来ました。そして、それらの巡礼者たち用に、地図や案内書が作られました。

そういった案内書やその他の文書の中で、セバスチャン・カタコンベにはラテン語で以下のような名前が付けられました。Cymiterium Catcumbas ad sanctum Sebastianum via Appia。ちなみに、この名は、この墓地の位置を示す名にすぎませんでした――つまり、アッピア街道沿いにあるcatacumbas地域に位置する墓地の一つ、といった具合です。

しかしその後、中世になって、人々は――無知からだと思われますが――、これらの地下墓所群をまるごとひっくるめて、「カタコンベ」と呼ぶようになったのです。これが、「カタコンベ」という名のもともとの由来です。

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