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Japanese - Anabaptists



1500年代、大陸部のヨーロッパにいた熱烈なキリスト者たちの群れが、「使徒時代のキリスト教回復」という一途な探究心をもって、ヨーロッパを燃え立たせました。

――アナバプテスト(再浸礼派)――として知られるこれらのキリスト者たちの歩みは実に、教会史上、最も注目すべき運動の一つです。歴史家は一般に、アナバプテストを指して、《宗教改革の第三翼》と呼んでいます。

ちなみに、最初の二翼は、それぞれルター派、改革派です。またアナバプテスト運動は《急進的(ラディカル)宗教改革》とも呼ばれています。こう呼ばれるのは、アナバプテストの――原始キリスト教へのどんな回復であっても、そこには必ず、ラディカルで抜本的な生き方の変化が伴う――という理解に由来しています。

過去500年の間に起こった回復運動の中でも、おそらくアナバプテストは、《二つの王国(two kingdoms)》という、原始キリスト教の宿していた精神を最も原型に近い形で再現したのではないかと思います。

つまり、キリスト者は二人の主人に仕えることはできないということを彼らは完全に理解していたのです。――この世の政治的そして軍事的な事に関わっていながら、依然として、キリストに余すところなく献身できると考えること――それは所詮、不可能であるというのです。

また、「商業の一大帝国を築いてやろう、大事業を興して一旗揚げてやろう」とビジネス世界に深く身を沈めつつ、尚も、神の国を第一に求めることはできない。神の国は、この世のものではない。そして、私たちがキリストの教えに従って生きる時、――初代キリスト教徒がそうであったように――私たちも、自分たちを取り巻く世からは、際立って特異な者となるのだと。

興味深いことに、宗教改革の三翼のうち、アナバプテストは一般に、当時の知識人世界の中枢からは最も遠く離れたところにいました。指導者の中には、大学出の者たちも若干数いましたが、彼らの内の教師の大部分は、そういう教育などない人々でした。

しかし、彼らの間に、初代教会の研究者は皆無であったにもかかわらず、彼らの信仰内容の大部分は、初代キリスト教徒のそれと――特に生き方、ライフスタイルの点で――、一致していたのです。その秘訣は何だったのでしょうか。

彼らの秘訣とは、これでした。すなわち、聖書に書いてある言葉をそのまま文字通りに受け取り、それに従おうとしていたのです。

実際、――聖書的な考えのアナバプテストが、初代キリスト教徒とこれほどまでに同じ結論に達していた――その事実自体が、初代キリスト教徒が聖書的に健全であったことの何より強い確証の一つであるのです。

そして、アナバプテストが初代教会とは違う教えをしていたその領域だけが、彼らが新約聖書を文字通り、受け取りそこなった部分であるということができます。

アナバプテストが到達した結論のいくつかは、当時のキリスト教徒の大部分――カトリック、ルター派、改革派――にとって、かなり革命的でありラディカルなものでした。

「教会は国家から分離しなければならない」という彼らの教えもその一例です。

コンスタンティヌスの時代以降、教会と国家は互いに婚姻関係を結んでいました。そして16世紀においては、実質的に――ルターやカルヴァンでさえも――その妥当性に異議をはさむ者はいなかったのです。

中世社会のありとあらゆる構造は、教会と国家の結合の上に成り立っていました。それゆえに、ほとんどの人は、アナバプテストの教えは、無政府状態(アナーキー)を引き起こしかねないと考えたのです。その結果、アナバプテストはヨーロッパのほぼ全ての国において、非合法とされました。

彼らの内のある者はこのように嘆いています。 「非の打ちどころなく、主の御言葉を説教している真の教師は、現在私たちの知る限り、天の下に存するいかなる王国や国、都市であっても、もし彼がそこに滞在していることが知れるなら、追放処分となるのである。」

数年も経たないうちに、初期アナバプテストの指導者たちのほとんどは、逮捕され、処刑されました。アナバプテストは、――場所を転々とし、森の中や人目につかない隠れ場で集会を開き――(動物のように)追われ、狩り出される群れとなりました。

しかし、それにもかかわらず、彼らは疲れを知らぬ伝道者であり続け、その結果として、この群れは急速に成長していきました。

彼らのこうした強さの秘訣はどこにあったのでしょうか。――それは、心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主を愛する彼らの生き方にありました。

アナバプテストと初代キリスト教徒との 驚くべき類似点


初代キリスト教徒のように、アナバプテストも、その大部分において、この世のものを拒み、天の国の市民として生きていました。だからこそ、その他の教会は彼らを憎んだのです。

マタイの福音書を軽んじたルターとは違って、アナバプテストは、山上の垂訓にあるイエスの教えを、きわめて真剣に、文字通り受け取っていたのです。彼らは、新生したキリスト者は、これらの教えに従って生きなければならないことを強調していました。

今日では、ほとんどの教会が貧しい人々をケアしていますが、宗教改革の時代はそうではありませんでした。そのため、「お互いに対する兄弟愛をもったケア」という点でアナバプテストは、ルター派や改革派そしてカトリック教会とはっきりした対比をなしていたのです。

アナバプテストは、他の教会にむけて、以下のように言明しています。

「慈悲や愛の行為、そして(財の)共有を、私たち(アナバプテスト)は、この17年に渡って教え、実践してきました。そして今現在も教え、実践しているのであります。

実際、私たちの所有物はほとんど取り上げられ、今も毎日のように没収されており、多くの高潔な父親や母親が剣にかけられ、火に焼かれ殺されています。そして御承知のように、私たちは、家族団欒の時も自由に持つことができない状態にあります。

しかし、それにもかかわらず、私たちの群れに加わった者たち、及び(迫害で親を失い)孤児となってしまった子どもたちのうち、誰ひとりとして、物乞いをせざるをえなくなった者はいないのです。

それゆえに、私たちはとこしえに神に感謝をささげるのであります。もしこれ(お互いに対する兄弟愛の実践)が、キリスト者としての行ないでないのなら、私たちは、いっそのこと主の福音全体を捨て去ってしまった方がよいと思います。

こういった哀れな人々[ルター派信者]が『私たちは神の言葉を持しており、まことのキリスト教会なのだ』と自ら誇っていながら、その実、真のキリスト教のしるしを完全に失ってしまっていることに決して思いが至らないこと――、これは、悲しむべき、耐えがたい偽善ではないでしょうか。

彼らのうち多くの者が、全ての物をもて余すほど持っており、絹やビロード、金や銀で身を包み、豪華で壮麗なふるまいをしている一方で…貧しく、苦しみの内にある多くの同胞信者が物乞いをしているのに、それに対して何もせず平気でいるのです。

そうすることによって結局彼らは、貧しい者、飢えている者、苦しむ者、年老いた者、足なえの者、盲目の者が、彼ら(富んだ信者の家)の戸口で一片のパンを乞わなければならない、そういう状態に追い詰めているのです。

ああ、説教者たちよ。わが親愛なる説教者たちよ、あなたの説いている福音の力はどこにあるのですか…あなたの受けた御霊の実はどこにあるのですか。」

初代キリスト教徒と同様、アナバプテストも十字架のメッセージを説いていました。

「もし、頭(かしら)である主が、あのような拷問、苦悩、悲惨、痛みを耐え忍ばなければならなかったのだとしたら、いったいどうして、主のしもべや、子ども、そして主の教会の一員が、肉において、平和や自由を享受しようなどと期待するであろうか。」と彼らは問いました。

また、彼らは無慈悲にも狩り出され、拷問を受け、処刑されていたにもかかわらず、迫害する者たちに応戦すること、報復することを拒否していました。

こうした他者に対する、無私の愛をあらわす最も感動的な実例は、ディルク・ウィレムズ(Dirk Willems)のそれでありましょう。

彼を逮捕しようとするカトリック当局の追手を振り切り、ウィレムズは凍りついた湖を一気に駆け抜け、無事に反対側の岸にたどり着きました。

岸のほとりを走りはじめた彼がふと後ろを振り返ると、――彼を追跡していた補佐官が、割れた氷の間に落ち、溺れかけているのがみえました。今なら、楽に逃げ切ることができました。

しかし、ウィレムズは引き返し、溺れている補佐官に手を差し伸べ、彼を助け出したのです。このような無私の愛の行為にも心動かされることなく、主任官吏は、ウィレムズを逮捕するよう補佐官に命じたのでした。 その結果、彼は捕えられ、監獄に入れられ、そして最終的には、生きたまま火あぶりにされたのです。

また、初代キリスト教徒のように、アナバプテストは、自衛のためであれ、犯罪者を死刑に処することであれ、いずれにしても、自分の国のために武力を行使することを拒んでいました。またイエスの言葉に従い、誓いを立てることも拒否していました。

さらに、健康や繁栄の福音を説く代りに、彼らはシンプルで質素な生き方を強調していました。実際、迫害のために、ほとんどの信者は、ひどい困窮のうちに生きていたのです。

《信仰のみによる救い》が、宗教改革のスローガンでしたが、それに対して、アナバプテストは、従順も救いのために不可欠なものであることを説いていました。

しかし、そうだからといって、彼らは、善行を積むことによって救われると教えていたわけではなく、事実、ローマ・カトリック教会の教えである「自己義認のための儀礼的な行い」の一切を、彼らは拒絶していました。

救いは神からの賜物であることを強調する一方で、彼らはまた、それが条件付きの賜物であり、不従順によって取り去られてしまうこともありえることを教えていたのです。

実際に、彼らの救いに関する教えは、初代教会のそれと非常に似通っていました。しかし、彼らが、「従順は救いに必要」と説いていたために、ルター派や改革派のキリスト者達は、彼らを《天国荒らし》と呼んでいました。

他の人達が、アウグスティヌスの教えを強調していた中で、アナバプテストは、予定説の教義をきっぱり拒絶していました。

そして彼らは、救いは万人に開かれており、救いという神の恵みあふれる備えを、受け取るのか、それとも拒否するのか、皆それぞれが選びとるのだと教えていたのです。